進撃の巨人のラストシーンに関するスレが話題になっていたのでご紹介します。
引用画像©諫山創・講談社/「進撃の巨人」The Final Season製作委員会
参照元◎
みんなはこのシーンをどう思う?
このシーンはかなり議論を呼んだよね。マンガで初めて出たとき、嫌っている人がたくさんいた。とても感動的で悲しいシーンなのに、よくミームにされたり、からかわれたりしてる。「エレンは鳥になった(笑)」とか馬鹿げたジョークを言うの人にはいつもイライラしていたよ。
正直、諫山がこのパネルを描かなければよかったと思うこともある。代わりにリヴァイのように、ミカサが木の下でエレンの姿を見るとかね。
多くの人はエレンが本当に鳥になったと理解しているように思う。自分は道か死後の世界からエレンが鳥を送ったと考えたい。または彼の死後、ついに手に入れた自由の象徴として描かれたのかもしれないし、本当に彼が鳥に転生して、ついに自由を手に入れたということなのかもしれない。日本人は転生を信じているからかな🤔
みんなの考えを聞きたい。
ハラル・ミカサ
ミカサ・アッカームド
なにこれ最高w
ここはお気に入りのシーンだよ。でも正直に言うと、ちょっと安っぽくて大袈裟すぎたかな。鳥が飛んできて、スカーフを巻いて飛び去るなんて、もう少し控えめでリアルなものが良かったよ。
中立的な感じかな。ミカサが最後にもう一度スカーフを巻いてもらって、残酷さの中にある美しさを感じることが出来るけど、ちょっと安っぽいと感じるのも同意する。風が偶然スカーフを巻くみたいな、もっと自然な方法の方が良かったかもね
安っぽいけど、それはそれで素敵だよね。エレンの墓の近くの木が時間とともに変化していくところとトーンは合っていると思う。
確かに個人的には少し露骨すぎるかなと思うけど、作品を壊すものではないよ。
ファンじゃないって感じかな。チープさがちょっと気になったけど、エンディング全体としては楽しめたよ。
エンディングは「進撃の巨人」で一番好きじゃない部分だけど、でもその時の歌の歌詞を読んだら本当に涙が止まらなくなるよ。
このシーンは解釈の余地があって美しいと思うよ。個人的には、エレンが鳥として転生し、ミカサが悲しむ中で、彼女に最後の慰めを与えたと信じることにしているんだ。
日本文化的には、そのようなシーンは感動的と見なされるかもしれないね。一方で、西洋の観客の中には安っぽいと感じる人もいるだろうね。
エレンはTATAKAEと伝えたんだ。
俺は普通に泣いた😅
特に問題はなかったよ。これは明らかにシンボリズムとしての鳥でしょ。
ミカサは自分のスカーフにパンくずを入れて、これが起こるまで毎日木の隣に座っていたのかもしれない。
あの鳥はただ餌を食べにきただけなのか!?😮
エレンは鳥じゃないでしょ。
それを信じてる。
ただただ悲しい。。
ちょっとやりすぎだけど、良いと思う。
激しく泣いた。。
このシーン好きだよ。みんなちょっと考えすぎだと思うな。。
それぞれの解釈に委ねられるって感じですかね😅
以前、別のスレの面白い考察で、エレンは北欧神話のオーディンと重なる点が多く、そのオーディンには世界の情報を伝えてくれるフギンとムニンという鳥がいたことから、その鳥と重ねているというのがありました。